2011年7月28日木曜日

霞が関は眠らない

今日は少し残業して会社を出たのはそろそろ21時になろうかという頃でした。
そう言えば若手社員の頃はよく夜遅くまで残業して、帰宅は深夜という生活をしていました。また、早く切り上げる日には決まってパチンコ店か雀荘に走り、仕事のことなど一切忘れ目の前の歓楽に酔いしれていました。
さて昨今何かと批判の的になりやすい霞が関官庁村ですが、私はここで働く職員の直向さや真面目さ、熱心さに接していたこともあり、マスコミ等での表面的な批判の風潮には残念な思いでおります。昔からそうでしたが、この村では毎日夜遅くまで職場の灯りを煌々と灯して、職員は仕事に勤しんでいます。(震災以降は節電で最小限の点灯にしているようですが。)
写真はたまたま外務省の建物を撮ったものですが、国土交通省や今ホットな経済産業省など殆どの省庁は、私などが相変わらず酒場で歓楽に酔いしれている時間にも一生懸命この国の将来について考えてくれています。
日本のマスコミが政治や行政に対する批判キャンペーンばかりでなく、「よくやってくれている」キャンペーンでも展開してくれれば、日本国内に留まらず海外からの日本に対する評価や政治の質も変わっていくのではないかと思いますけどね。
叱るより褒める。
子どもだって叱ってばかりより褒めてあげたほうが俄然張り切って頑張るでしょ?

2011年7月26日火曜日

やっぱり東京タワー


今日は久し振りの通勤サイクリングです。ここのところ幾分か過ごし易い日が続いていたので、思い切ってペダルを漕いでみることにしました。熱中症に気を付けながらのゆっくりスタートです。
まずは慶応病院の薄暗い裏通りを通り抜け明治神宮外苑に。おぉ、神宮球場がいつになく立派に見える。そうか、ヤクルトスワローズが前半首位で折り返したからねぇ~。やはり強いものは美しく見えるんだね。なでしこもそうだしね。
その先はいつもの銀杏並木。木陰の涼しさを感じながらゆっくりペダルを漕ぎます。HONDA本社ショールームでお気に入りのバイクCB1100をしばし拝観。そして六本木に向けてまた漕ぎ出しました。ほほぉ~、六本木ヒルズはやっぱり迫力がありますねぇ。何枚か写真に納めようとするも納まりが悪く断念。その先をどうするか迷っていると芝公園の看板が目に入り、その奥に懐かしい東京タワーが目に入りました。
今日のショットはこれで決まりです。一目散に漕ぎだすとあっという間に東京タワーの足元に到着。真下からてっぺん目指して撮った一枚が写真の絵です。鉄骨トラス構造はパリのエッフェル塔と同じ構造で、高さもほぼ同じの333m(東)と324m(パ)です。近年は高さ競争が過熱し、日本でも2011年に634mのスカイツリーが完成しますが、やはり私は高さだけではない東京タワーやエッフェル塔に大きな魅力を感じます。構造美は勿論、時代背景なども影響しているのだと思いますが、「存在感」という数値では測り切れない永遠の魅力が、今でも大勢の人を惹き付けているのですね。

2011年7月24日日曜日

尾張徳川美術館

東京に戻る途中で名古屋に寄り道。徳川美術館には徳川家ゆかりの国宝級の貴重な品々が数多く展示されています。

名古屋駅でバス乗り場を探すのに右往左往しましたが何とか無事徳川美術館に到着。すると開館10:00との無情な看板。まだ40〜50分もある。その間、芸術鑑賞が好きな見知らぬ姉さんから何やらずーっと話しかけられながらようやく入場。
尾張徳川家初代義直公(家康公の九男)の堂々とした甲冑に出迎えられて、期待通りの観賞。2時間ほどかけて満腹終了。さぁ次は昼食だ!と勇んで美術館を出るもさっぱり当てがなく、結局またバスで名駅に戻ることに。そう言えば以前ひつまぶし(鰻)の美味しい店があったなと向かうも休業。それではと味噌カツかきしめんかと歩き回るも全く手応えなし。しょうがないので地下街(名古屋は地下街が発達しておりかなり広範囲)をウロウロと歩き回りようやくお好み焼きの店を発見。たまらず入店し入口看板にあったセットメニューのミックス焼きそばセットと生中を注文。
目の前の鉄板には既にお好み焼きの丸い円盤が何枚も並んでいる。あぁ、これは時間かかるなぁと覚悟を決め携帯イジリを始めてしばらくすると「はい、セットのごはんと味噌汁です。」その後間もなく焼きそば登場。おぅ、以外と早い。でも、はは〜ん、ビール忘れてるな。と思ったところで「はいビールすみません。」
まっ、順序が逆な気がしないでもないが快く「はいありがとう!」と一人で乾杯。ところが目の前の円盤がいつまで経っても焼き上がらず、私より先に待っている面々は全員鉄板前で待機状態。目の前の水をチビチビすすってる。カウンターで私一人が優雅にやってる。そして私が食べ終わった頃にようやく回りの方々の円盤が完成。明らかに皆さん間延びして食欲低下してる。何やら申し訳ない気持ち。

私の焼きそばも決して美味しかったとは言い難いが、何か得したようなすまないような気持ちがする、いやぁ、何とも不思議な時間配分の店でした。

伊勢路の裏スポット

今日は2時間程の小旅行に出掛けました。

桜の名勝宮川堤をトボトボと歩き渡会橋へ。わくわくした気分でイザ小旅行の始まりです。
元々はコーヒーを飲みに行くつもりが何故か赤福氷(宇治金時の餡の代わりに赤福餅が入っているかき氷)を食べることに。二見ヶ浦にある赤福の支店に向かいます。本店の賑わいとは対照的に静寂さに包まれた小さな茶店です。風鈴の涼しい音色が暑さを忘れさせてくれます。しばし癒された後、その足で老舗旅館が建ち並ぶ浜辺の松林に。海に挨拶をした後、明治中期に建築された「賓日館」を訪ねます。ここは多くの皇族が宿泊或いは休憩に訪れる由緒ある近代的日本建築の建物で、当時は旅館として利用されていました。日本建築と西洋建築を見事に融合させた意匠・構造美には感動を覚えます。そしてそれにより醸し出された凛とした空間に身を預けると、時を忘れ一種無の境地に至ります。
ここでは邪念と言う鎧を全て脱ぎ捨て、身体一つで今この時を感じていたいですね。

写真(上)は大広間から松林越に浜辺を望んだ光景です。この大広間には余計な装飾など一切なく、欄間越しに東から西に抜ける浜風が実に心地よく夏でも十分涼しさを感じさせてくれます。写真(下)は建物の中心部に据えられた中庭からの一枚です。庭の四方を廊下・縁側に囲まれ、上空からの太陽の恵みを溢れるほどに頂いています。何と表現すれば良いか言葉が浮かびませんが、この建物は自然の恵みを最大限に活用した、「エコ建築」の原点となる建築物と言えると思います。

さて、いよいよ小旅行も終盤。心地よい時間はあっという間に過ぎ去ります。
締めくくりは地域の人気珈琲店でブレンドを1杯。当初の目的は忘れていません。
今日の一期一会を振り返ります。途中で声を掛けたら吠えられた小型のコリー犬、賓日館で親切にガイドして下されたボランティアの御仁との出逢いも恐らくはこれで最後。その時その瞬間の出会い・空間・匂いを身体で感じながら、自分自身の存在を再確認することが出来た今回の小旅行。本当に楽しかった。

またボチボチ街中散策を続けたいと思います。どうもありがとね!

2011年7月22日金曜日

急遽の里帰り

今日は故郷の友人のお父上が亡くなり、急遽帰省となりました。東京始発の新幹線での移動です。

朝早かったので、朝食を摂らずに東京駅まで来ましたが、いやはや随分便利になりましたね。中央コンコースの中に立派な弁当専門の売店(というよりちょっとしたスーパー)があり、そこで朝食を調達。今の流行りか、コンビニ弁当のような平たい弁当箱ではなく、まるで手作り弁当のような厚手の弁当箱に盛り沢山の惣菜類が丁寧に盛り付けられています。
遠い昔のビジネスマン時代を思い出しながら、時速200�超からの車窓を眺め、しばしリッチな気分で朝食を摂らせて頂きました。

友人とはもう随分会っていないので、弔問とは言え楽しみでもあります。お父上とは中学時代にお会いしたのが最後ですから、かれこれ40年近くになりますねぇ。
お世話になりました。

写真は郷土が誇る近鉄特急2階建てです。

2011年7月14日木曜日

最終日の夜はやはりススキノ

懐かしいススキノ交差点に睨みを利かしているニッカウイスキーのオジサン。この人の顔を見ると何故か心が和み、そして夜の戦闘体制に火が点きます。
この日はゴルフを終えて、友人お勧めの割烹料理店に。色々な創作料理を頂いたが、中でも鯖の燻製が絶品。北海道では家庭でも気軽に燻製を作る習慣があり、この鯖の燻製も15分程度の燻しで作ったそう。ここではゴルフ談義に時間を忘れ、店を出たのは23時。そして2次会へ。通常2万円くらいかかりそうなクラブを友人の顔で1万2千円に。0時半には帰ろうと約束していたのに店を出たのは既に1時。更に悲劇はアフターへと付き合う羽目になり、最終的に解放されたのは3時半。札幌には呑み出すと帰りたがらない御仁が沢山いるので本当に困ったものです。(T_T)...
それでも老体にむち打ち、7時に食事を済ませやっとの思いで東京まで帰ってきました。
二日間のゴルフと三日間のお酒三昧。仕事10%の実に充実した札幌出張(ツアー)でした。

ゴルフも満喫

今回は二日間に渡りプレーしました。天候にもメンバーにも恵まれ、成績もまずまずの結果を残せました。初日は日本製紙株式会社が経営する老舗クラブ「クラークカントリークラブ」です。前任の会社仲間と昔話に花咲かせながらのリラックスプレー。西46東52の98。何とか100を切りました。二日目は名門「札幌ゴルフ倶楽部由仁コース」に初チャレンジ。暑い陽射しを浴びながらも爽やかな風に励まされての友人とのワイワイプレー。out49in49の98。両日共98ということで、この辺りが私の実力と言ったところか。
二日目の由仁では、近隣の長沼ジンギスカンで昼食を済ませてからの18ホールスループレー。北海道ならではの楽しみ方を満喫し、大満足な一日でした。

札幌での初日はお鮨

札幌到着の夜は、お気に入りの鮨処に顔を出しました。ほぼ2年振りの顔見せとなりましたが、親方以下スタッフの皆さんのいつも変わぬ笑顔にホッとひと安心。美味しいお鮨の写真を撮るつもりがついつい先に手が出てしまい、結局撮れず仕舞い。(T_T)
代わりに皆さんの笑顔を撮らせて頂きました。(中央が親方)

この親方は、北海道洞爺湖にあるウインザーホテルの立ち上げに料理人として関わり、その後ここ札幌はススキノに店をオープンしました。広いカウンターには定番のネタケースを置かず、包丁捌きの様子がその先であらわになります。高い技術と洗練されたサービスに、食通達が満足を求めて集まって来ます。

私の自慢のお店の一つです。

「sushi田なべ」 で検索してみてください。

2011年7月11日月曜日

久し振りの羽田空港

今日から札幌出張です。と言っても90%は遊びですが・・・。
相変わらずのんびりと生活している私は、札幌での仕事を早々に済ませて後はゆっくり北の幸とゴルフを堪能してきます。m(__)m
懐かしい知人とも会えるので今からとても楽しみです。

私は東亜国内航空の時代からJAS→JALを愛用しています。マイナーな航空会社ならではのサービスが充実していたからです。何よりの快適さは利用者が少なかったこと。(>_<)
お陰で(?)東亜国内航空はJALに吸収され、JALはご存知の通り目下再建中です。皆さん頑張ってくださいね。皆さんの笑顔が再建の着実な一歩ですからね!・・・って、何だか妙に親近感を感じております。( ̄0 ̄)/

2011年7月5日火曜日

夏は暑いので通勤サイクリングで (>_<)。。


ここしばらく通勤ウォーキングをサボっていました。
・・・という訳で今日からは通勤サイクリングとして復活できればと思っております。
写真は私の愛輪です。14年前に札幌で購入したものの、雪の期間はずーっとお蔵入り。1年のうち半年も乗らないとなかなか乗る習慣がつかず、結局年間通じてずーとお蔵入りでした。去年東京に共に越して来たものの乗らない習慣は引き続き、先日までバルコニーの隅でヒッソリしていました。でもいよいよ出番が来ました。サビなどは綺麗に磨き落とし、スッキリした表情を取り戻してくれました。折りたたみ式ですがなかなか快適に走ってくれます。
通勤ウォーキングのように街をじっくり眺めることはできませんが、その分通勤ルートの幅は広がります。この夏は少し遠回りをして、通勤ウォーキングでは見つけられない街の顔を探し出したいと思います。

2011年7月1日金曜日

日比谷神社 そして不思議なご縁


写真の日比谷神社は約2年前に現在の地(東新橋・汐留地区)に移転なされました。江戸城拡幅による日比谷から東新橋への移転が1回目、明治初期の東海道線敷設による新橋への移転が2回目、そしてこの度の虎ノ門から第一京浜国道に繋がる「マッカーサー道路」建設による移転が3回目の移転となります。正に社会資本整備に理解を示され、共に歩まれて来たのだと謹んで敬意を表します。現在の地も正面に第一京浜国道(国道15号線)、すぐ背面に東海道新幹線が走り、その奥には汐留の高層ビルが林立しています。決して静かな環境にはありませんが、今後も日本の社会資本整備と共にご発展なされますようご祈念申し上げます。

さてこの第一京浜国道(正確には下記一號国道)、そもそもは大正9年4月1日に施行された「道路法」に基づき、次のように「路線認定」がなされています。

一號 東京市ヨリ神宮ニ達スル路線
 經過地
横濱市 神奈川縣足柄下郡箱根町 靜岡縣田方郡三島町 靜岡市 濱松市 豐橋市 岡崎市(八丁橋經由) 名古屋市 四日市市 三重縣三重郡日永村 津市(宇治山田市宮川町通經由)

「一號」とは1號國道(国道1号線)を意味し、「東京市」とは日本橋、「神宮」とは伊勢神宮の事を言います。つまり1號國道は、東京から横浜・静岡等を経由し伊勢神宮までの路線として定義されていました。蛇足ですが、上記「宇治山田市宮川町通」とは、現在の伊勢市宮川町のことを言い、不肖私の実家はこの宮川町通りにあります。

いやはや不思議なご縁です。私の現在の本拠地と生れ故郷をこの1號國道が繋いでくれているのですから。(^ω^)b