ひと言で「信頼回復」と言うけれど・・・。

はじめにお断りしておきますが、まっ、お断りする程にも値しない戯言です・・・。

政治の世界では、よく信頼関係を構築するという言葉を耳にします。最近では沖縄県普天間基地を巡る政府と沖縄県知事はじめ県民との信頼関係や、尖閣諸島を巡る中国との信頼関係ということについて。これらは共に、そもそも互いに相容れない脆い関係の上に先人達がコツコツと積み上げた成果、つまりは或る意味妥協の産物が泡のようにして膨れ上がったものを信頼関係として互いに壊さないよう大切に守ってきた貴重な財産です。しかし沖縄の場合、たまたま時の首相の不用意な発言(・・・と言いますか空論)で、一気に「信頼関係」が崩れ去ってしまいました。その後の政治の苦悩と混迷は、我々一般国民でさえ頭を抱える事態となり着地点が全く見えない状況、いや、着地点は決められているものの明らかに出来ないというようなことかも知れませんね。とにかく踏み入れてはいけない袋小路に入ってしまったという状況です。

・・・尖閣については話がややこしくなるので呑気な戯言はやめときます。m(_ _)m

残念ながら、一般論として一旦壊れた信頼関係はいくら努力しても元に戻るものではありません。一旦芽生えた不信感は消えるものではなく、「信頼」の回復に向けた大変な労力を考えると、これはもう関係修復というレベルの話ではなく一から話を始めることしかないでしょうね。そろばんで言う、「御破算を願いましては~。」というゼロリセットですね。

ともあれ、国家の話は戯言でも私などが語れるものではありませんのでここらでやめときます。

さて、対して我々個人の身の周りについて。

信頼関係と言えば友人関係も一種の信頼関係であり、夫婦も信頼関係の上で成り立っています。(・・・まぁ、本来的にはですが。)
こちらの信頼関係は政治の場合とは異なり、互いに相容れる関係の上で出来あがった信頼関係からスタートしています。利害が相反するのではなくて、利害を共有しようとするところからスタートしています。・・・ということは、こちらは信頼関係が壊れてもまたすぐに修復することが出来るのか!?
答えはノーですね。まぁ、度合いにもよりますが、特に夫婦の場合は所詮赤の他人がたまたま巡り合っただけの関係ですので、そもそも高いレベルからの信頼関係で始まっていても、どこかでけつまづくと中々信頼関係の修復は難しい。相性の問題も相まって、先程の政治の場合と同じく修復に向けた労力を考えると御破算を願いましては~が最も賢明な考え方ではないかと思ってしまう今日この頃・・・。

う~ん、政治も個人も根本は同じなのかもねー。( ̄0 ̄)/

この風景は東京都内のとあるガード下の直線路。脇によける道はありません。ただただ一本道を進むだけです。この道を眺めて果たして何を感じればいいのか・・・。(-。-)/~

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