定年後の独り暮らし~たくましいオジサンの勧め~

今の世の中、女性の進出には目覚ましいものがある。とは言え女性の力は古代より絶大だったゆえ、歴史の過程で男性の相対的地位向上のため女性の社会進出を阻んできただけのことであり、それが最近ようやく本来の姿に戻ってきたと理解するのが自然であろう。生物学的にも精子と卵子の役割の違いや虫の世界でも雄と雌の力の差は歴然である。もはや女性に勝とうなどとは思わない方が良いのである。

そう言いながら、私は何も女性上位を善としているのではない。逆に男性上位論者でもない。女性と男性はそれぞれ役割が異なるだけで対等であるべきということだ。昨今、よく恐妻家の夫婦がテレビ等に出演しているのを見かけるが、いかにも女性上位であるかの振る舞いには目を覆うばかりである。(但しその中にはしっかり思いやりを感じさせるOK夫婦もいるが。)妻は一歩引いて夫を立てるからこそ美しいのであって、引いてこそバランスのとれた夫婦となるのである。そもそも女性の方が強いのだから敢えて誇示する必要はないと思うのだ。

さて、本題に入ろう。今なぜ定年後の独り暮らしなのか?

それは、男としての時間を取り戻したいからに他ならない。最近、熟年離婚という言葉をよく耳にする。その殆どは妻から一方的に最後通牒を突きつけられ、夫は大した抵抗も出来ず戸惑い最終的には受け入れざるを得なくなるというみじめなものだろう。振り返れば出会った当初は彼女をリードし、無事結婚にこぎ着けた達成感を味わうまでは充実の日々。結婚後は徐々に妻のリードが先行し、出産を機に一気に家庭は子供と生みの親である妻中心の生活となる。その絶対的な影響力はその後30年以上に渡り家庭を席巻することになるのだ。その間、夫は大黒柱を自覚し颯爽と会社に通い仕事に全身全霊を捧げる。そのことが家族の幸せに繋がると信じているからだ。そして夫には50歳半ばを迎えた辺りから肩叩きが始まり、同時に会社への帰属心が薄れると共に家庭への回帰心が強くなってくる。
・・・でももはや手遅れ。そう、既に家庭には夫の居場所はないのだ。熟年離婚とまでいかなくても家庭内別居、お荷物扱いという耐えられない生活がそこには待っているのだ。こんなはずじゃなかったと・・・。あぁ、オシドリ夫婦がうらやましい。

でも定年を迎えた男には、学生時代の気の置けない友人やら社会人生活で培った技術力・経験力、また会社での先輩・後輩・同僚、取引先とのネットワークなど沢山の財産があるはず。そのような資産家が居場所のない生活をしていて良い訳はない。居場所がなければ思い切って家を出れば良いのだ。家を出てあらゆるしがらみを一旦捨てて、自分自身と向き合うのだ。その上で長年かけて蓄積された沢山の財産を心おきなく活かせることを考えるのだ。小さな小屋程度の家でいい。別宅を構え、誰に遠慮することもなく友人・知人を招き、酒を酌み交わし、豊富な経験に裏打ちされた貴重な話を思う存分披露して、互いに励まし勇気付け合えば良いのだ。定年を迎えた男たちの元気が今の社会を元気にし、次代を担う人たちへの良いバトンタッチになるのだ。

私は残念ながら建築士の資格は持っていないが、でも「定年後の居場所」だけは自分自身で設計してみたいと思っている。イメージしているのは10坪程度の敷地に木造の小屋程度のものを建て、周囲を庭木で囲み自分だけの空間を確保する。古民家を再活用するのも面白い。気楽に友人・知人を招き、簡単な手料理を振る舞い、心ゆくまで談笑に花を咲かせる。人が集まり易いように交通の便は良い方がいい。酒を呑むので車は必要ない。駐車場も不要。気楽に呑みに来てくれる環境が提供出来ればそれで良い。
後は予算の問題か・・・。そこが一番の難関だな。
よし。取り敢えず定年後の独り暮らしが出来る家づくりを私のライフワークとしよう。
最初のお客様は私自身だ。(^^)v