我々世代のお金の使い方

仲間の為にお金を使うと言うとカッコ付けのように聞こえるが、仲間と一緒に過ごすためにお金を使うと言えば分かり易いかも知れない。
ちなみに私は甲斐性なく独り自由気ままな生活をしているが、同年代(50歳辺り)の仲間は皆それぞれの会社で多くの会社仲間と一緒に忙しく働いている。そんな彼らの充実したビジネスライフに刺激を受けたくてたまに夜の盛り場に誘ってみるのだが、一様にして何だか元気がないように感じてしまう。理由はどうもお金の使い方に問題があるのではないかと思う。多くの人が飲みに出るのが久し振りだと言うのだ。仕事が忙しいこともあるだろうが、時間が出来ればさっさと帰宅してしまうと言うのだ。
どうやら最近は同僚はさて置き後輩を連れて盛り場に繰り出すということがないようで、お金は出すからたまには俺に先輩面させてくれ!というような場面がないらしい。確かに割り勘で飲みながらの先輩面はカッコ悪いから、結局誘うことが出来ないというような事だと思う。今の時代、どこか合理的過ぎて、至る所で割り勘主義が浸透しているようだが、これは本来の上司・部下、先輩・後輩、彼氏・彼女、等々の互いの役割分担というか責任の放棄に他ならないと思う。みんなが同じ立場で話をしたら単に好きなことを言い合う程度でそれでお仕舞いとなる。会社仲間(職責上の立場が異なる)と飲む場合は何かしら目的とするものがある訳で、上位の立場にある人は割り勘などとは言わずたまには自腹で振る舞い、自分の思いを思う存分ぶつけてみては如何だろうか。そして部下・後輩の面倒をしっかりみる。
これは立派な教育であり会社組織人としての務めでもあると思う。経費は出ないが部下・後輩等々にこのような姿勢で接することは、自分自身にとっても大きな財産となって跳ね返ってくるはず。面倒をみてもらった若手は必ずやそれを恩義に感じ、また次の若手に繋いでいく。この連鎖・連携が日本企業の強みでもあったはず。

みなさん、昭和の良き時代を今一度思い出しましょう。決して古臭いことではありません。
人と関わることの重要さはいつの時代も変わりません。後輩を連れて飲みに行きましょう。そして色々な話を聞かせ、また沢山聞いてあげましょう。どうせ家に帰っても相手にされないのですから、ここはお金払って大いに先輩面しましょうよ。

これが将来の有意義な独り暮らしに繋がると信じて・・・。