随分と以前から、何故か上高地に行きたいと思っていました。去年はいよいよ現実になろうかという目前で願い叶わず、手前の白骨温泉までで引き返すことに。悔しい思いを胸に、この度ようやく願い叶って足を踏み入れることが出来ました。\(^o^)/
小型のレンタカーを調達し、一路中央フリーウェイを飛ばして松本を目指します。出発早々都内の渋滞につかまり気持ちも萎えかけましたが、何とかモチベーションを高めながらアクセルを踏み続けます。高速道路に乗ってしまえばあとは快調です。途中 談合坂SAで唯一の休息を取り、再び目的地を目指します。
・・・しかし、都内の渋滞の影響がことのほか大きく、このまま行っても殆んどトンボ返りとなることが判明。やむなく予定を変更し、この日は宿泊先の松本市内をブラブラし、目当ての上高地は翌日の楽しみに取っておくことに。
そうなるといきなり時間に余裕が出来ます。そうだ、事前に飲み屋仲間から聞いておいた蕎麦屋で昼飯だ。地元ならではの「とうじ蕎麦」を出してくれるという人気店「野麦路」に向かいます。・・・と、何とまぁ定休日の看板が冷酷に立ってる。何だよぉ〜ん。それじゃーと控えの情報で得ておいた「榑木野(くれきの)本店」に切り替え。ふむふむ、ここは無事にチェックイーン!
ざる蕎麦と蕎麦刺しを注文。蕎麦も美味しかったですが、蕎麦刺しが絶品。蕎麦の塊(麺にする前の状態)が綺麗に刺身状にスライスされ、これをわさび醤油で頂きます。う〜ん、これは美味しい。初めての食感。
そのあと松本城下の風情を残した(再現した?)縄手通りの街並みを散策しましたが、ここはちょっと、もうちょっと・・・ってところだったかな。規模も小さいし休みのお店が多くてね。ちょっと寂しかったなぁ。
宿泊先は以前予約しながら予定変更でキャンセルしてしまったお宿、「和泉屋善兵衛」です。16部屋しかない小さな旅館ですが、古民家をうまく使った風情ある建物で、温泉も善し・食事も善しでしたね。お風呂は貸切りの家族風呂が露天付きでグッド。(^^)d
ただし40分の時間制限があり少々慌ただしい。
食事は部屋食でゆっくりと頂きます。馬刺に飛騨牛の鉄板焼、どれも美味しいですが中でも〆の蕎麦が美味い。自家製手打ち蕎麦で毎朝職人さんが宿の一角で打っています。翌朝の朝食は広間です。今度は宿の大将が宿泊客の前で厚焼き玉子を一品一品丁寧に焼き上げます。これがまた美味い。・・・何か美味い尽くしでウソっぽく聞こえますが、これが本当に美味かったんですよね。
さて、本題の上高地ですが、いやぁ〜良かった。景色も空気も最高。中部山岳国立公園の一角を担い、世間とは隔離されたような高地に位置する上高地。なかなか居住することは叶いそうにありませんが、ここは正に私にとっての理想郷ですね。天国に最も近い場所かも知れません。
そう。ここの良さは自分自身で直接体感するしかありません。とても拙い文書で表現出来るものではありません。どうぞ皆さんもご自身で、とくとご体感あれ。( ^-^)ノ
2013年8月29日木曜日
2013年8月24日土曜日
念願のリベンジを果たしました。
思い起こせば一年半前の3月のとある日・・・。伊勢志摩パールロードに向け小型ハーレーに股がった男は、その入口直前に何とタチゴケ。以来、その時捻挫した左足の痛みと精神的ダメージを未だに引きずり、いつか必ずリベンジを・・・と心に誓っていたのでした。
ジリリーン・・・ジリリーン・・・
私の携帯電話が鳴り出し、画面を見るとその発信元は札幌時代の会社仲間。お世話になった取引先の方が9月で退職するとのこと。私にも会いたい・・・と何とも心くすぐるお言葉。
時を同じくして今度は〇〇会議所時代の仲間から、札幌ビール発祥の地でビールパーティーのご案内。
・・・気が付いたらJALの札幌便を予約していました。行動あるのみ。こう言うときの決断は速いです。ただ、飛行機は予約したものの宿がどこも満室で取れない。結局すすきのの外れにあるカプセルホテルを予約。2泊をそこで過ごすことに。
こうなると欲が出てきます。浮いたお金でバイクでも借りるか。そうだ、リベンジだ。北の大地で優雅にツーリングしよう。
結局大型バイクは諦め、250ccのスクーターでリハビリを兼ねて札幌近郊をツーリングです。
コースは札幌市内から中山峠を通って倶知安(くっちゃん)、京極。羊蹄山からの吹き出し水を乾いた喉に流し込み、隣接されている豆腐製造販売店での大試食会。色々な豆腐をまるでバイキングのように試食することが出来、さすが清流水で作られた豆腐はどれもとても美味しい。豆腐好きの私はたまりません。その後5分くらい走った所で今度は地元で評判のお蕎麦屋さんに。ここではちゃんとお金を払ってシンプルな盛りそばを頂きました。いやぁーっ、美味い!!
つなぎを使わない10割蕎麦です。
その後、ニセコ付近で日帰り温泉を発見し、しばし入浴。湯船一つだけの至って地味な湯処でしたが、これがまた何とも癒されるのです。
ポカポカ状態で更に走り続け、余市経由で小樽に抜け、そこからは高速道路で一気に札幌市内に入り、給油を済ませてバイクを返却。今回はかすり傷一つなく、無事レンタバイクでのツーリングを終了。ようやくリベンジを果たすことが出来ました。
夜は飲んだくれ、昼はツーリングと実に充実した時間を過ごしました。色々なことに感謝し、これから帰路に着こうと思います。
写真の奥に見えるのは、蝦夷富士とも称される羊蹄山です。ご馳走さまでした。(〃⌒ー⌒〃)ゞ
ジリリーン・・・ジリリーン・・・
私の携帯電話が鳴り出し、画面を見るとその発信元は札幌時代の会社仲間。お世話になった取引先の方が9月で退職するとのこと。私にも会いたい・・・と何とも心くすぐるお言葉。
時を同じくして今度は〇〇会議所時代の仲間から、札幌ビール発祥の地でビールパーティーのご案内。
・・・気が付いたらJALの札幌便を予約していました。行動あるのみ。こう言うときの決断は速いです。ただ、飛行機は予約したものの宿がどこも満室で取れない。結局すすきのの外れにあるカプセルホテルを予約。2泊をそこで過ごすことに。
こうなると欲が出てきます。浮いたお金でバイクでも借りるか。そうだ、リベンジだ。北の大地で優雅にツーリングしよう。
結局大型バイクは諦め、250ccのスクーターでリハビリを兼ねて札幌近郊をツーリングです。
コースは札幌市内から中山峠を通って倶知安(くっちゃん)、京極。羊蹄山からの吹き出し水を乾いた喉に流し込み、隣接されている豆腐製造販売店での大試食会。色々な豆腐をまるでバイキングのように試食することが出来、さすが清流水で作られた豆腐はどれもとても美味しい。豆腐好きの私はたまりません。その後5分くらい走った所で今度は地元で評判のお蕎麦屋さんに。ここではちゃんとお金を払ってシンプルな盛りそばを頂きました。いやぁーっ、美味い!!
つなぎを使わない10割蕎麦です。
その後、ニセコ付近で日帰り温泉を発見し、しばし入浴。湯船一つだけの至って地味な湯処でしたが、これがまた何とも癒されるのです。
ポカポカ状態で更に走り続け、余市経由で小樽に抜け、そこからは高速道路で一気に札幌市内に入り、給油を済ませてバイクを返却。今回はかすり傷一つなく、無事レンタバイクでのツーリングを終了。ようやくリベンジを果たすことが出来ました。
夜は飲んだくれ、昼はツーリングと実に充実した時間を過ごしました。色々なことに感謝し、これから帰路に着こうと思います。
写真の奥に見えるのは、蝦夷富士とも称される羊蹄山です。ご馳走さまでした。(〃⌒ー⌒〃)ゞ
2013年8月13日火曜日
言葉の魅力・言葉の魔力
毎日暑いですなぁ〜。(;´д`)
・・・ったく、いつまで続くんですか?
今日は優に2リットルは水分補給しました。昼食を摂ったお店では、親切に冷茶をわざわざポットで出して頂きました。「暑いのに大変でしょ?」って何度も・・・。それだけで1リットルは飲んだんじゃないかな?・・・親切が身に凍みました。m(__)m
さて、先日さきの大戦下の沖縄で市民と共に最後まで勇敢に戦った知事と警察官のドキュメンタリーがテレビ放映されてました。米兵に追い詰められ、いよいよ自害するしかないかという状況に置かれていた洞窟の中で、その知事が最後に隣にいた市民に語りかけた言葉は「生きろよ。」だったそうです。
言葉って、時に凄いインパクトを与えるんですよね。当時その声を掛けて貰った人の証言が紹介されていましたが、戦後60年以上経過してもその一言に感謝し、励みにしながら生きてきたそうです。そもそも、あの状況下で本当に生き延びられたということが凄いことだと思いますよね。
平和な現代社会においても、人はそれぞれ色々な問題・課題を抱えつつ、互いに様々な声を掛け合いながら生きています。嬉しくなるような言葉、勇気づけられる言葉、身が引き締まるような言葉・・・。生きていく上でどうせ言葉を発するのなら、元気になるような言葉を選んで互いに声を掛け合っていきたいものですね。
言葉には魅力があり、魔力もあるのですから。ずっしりと重みを感じて用いましょ!
・・・ったく、いつまで続くんですか?
今日は優に2リットルは水分補給しました。昼食を摂ったお店では、親切に冷茶をわざわざポットで出して頂きました。「暑いのに大変でしょ?」って何度も・・・。それだけで1リットルは飲んだんじゃないかな?・・・親切が身に凍みました。m(__)m
さて、先日さきの大戦下の沖縄で市民と共に最後まで勇敢に戦った知事と警察官のドキュメンタリーがテレビ放映されてました。米兵に追い詰められ、いよいよ自害するしかないかという状況に置かれていた洞窟の中で、その知事が最後に隣にいた市民に語りかけた言葉は「生きろよ。」だったそうです。
言葉って、時に凄いインパクトを与えるんですよね。当時その声を掛けて貰った人の証言が紹介されていましたが、戦後60年以上経過してもその一言に感謝し、励みにしながら生きてきたそうです。そもそも、あの状況下で本当に生き延びられたということが凄いことだと思いますよね。
平和な現代社会においても、人はそれぞれ色々な問題・課題を抱えつつ、互いに様々な声を掛け合いながら生きています。嬉しくなるような言葉、勇気づけられる言葉、身が引き締まるような言葉・・・。生きていく上でどうせ言葉を発するのなら、元気になるような言葉を選んで互いに声を掛け合っていきたいものですね。
言葉には魅力があり、魔力もあるのですから。ずっしりと重みを感じて用いましょ!
2013年8月4日日曜日
伊勢神宮~式年遷宮~に奉献です。("⌒∇⌒")
今回は今年3回目の帰省となります。
ここのところ定番の「ぷらっとこだま」でののんびり移動です。結構空いていますし以外と快適なのです。(^^)v
実家に到着すると、まずは先祖の墓参り。日頃の留守をお詫びし、昔はよく墓石の文字が掘られた部分にカエルがいたなぁ〜と物思いに耽っていると、何とどこからか小さな雨蛙がピョンと現れました。ほぉーっ、絶妙のタイミングだなぁ〜とどアップの記念撮影。
今回は息子も一緒だったので、夕食後のデザートは自宅花火大会。子供の頃を思い出しながらの小一時間。小さな光の協奏に心踊らせました。中でも線香花火は他の花火にはない静けさと、か弱さ、それでいて華麗さを持ち合わせた実に神秘的な魅力を持った私の大好きな花火です。
さて、今年は20年に一度の伊勢神宮式年遷宮の年になります。長い時間を掛けて準備が進められてきた「祭り事」のおおとりとも言える行事がお白石持ち行事です。簡単に言いますと、完成された新築の正殿など神様の御住まいになる神殿の敷地内に、或る一定のサイズに厳選された白い石を敷き詰める行事です。今まさに7月26日〜9月1日までの毎週金曜日〜日曜日に執り行われています。参加する奉献団(白石を献上奉る市民を中心とした集団)は伊勢市内77の町内会並びに特別神領民の方々。残念ながら一般の方々の参加は叶いません。完成した神殿の敷地内に、白く輝く御白石を一人一人が白い布に包み、特別に入領を許可され丁寧に敷き詰めていきます。我が宮川町(宮川連)のこの日の役割は、この白石を詰め込んだ樽を大きな曳き車に載せ、古市町から出発し数百人規模から成る町内会関係者の曳き手がゆっくりと曳き進めることから始まります。曳き車が大きな摩擦音をギォーン・ギォーンと鳴らし、その間木遣り団や躍り手が木遣り節や舞を披露しながら曳き手を鼓舞します。綱は2本。長さは100メートル程もありましょうか。炎天下の下、曳き手は時に楽しく時に苦しく、時に真顔で一途に綱を曳きます。水分補給も怠りなく、皆で助け合い補い合う姿は実に美しく清々しいものです。いよいよゴール直前、おはらいまち通りの終盤に差し掛かると祭りの熱気は最高潮に達します。ゴールの宇治橋はもう目の前です。でも進まない。まだゴールしたくない。そんな思いが溢れ出ています。
私が少年木遣り団として参加したのは丁度40年前のこの時期。小学6年生の夏でした。今はこの地を離れ遠く東京から半ば客人として参加。懐かしい方々との再会も果たしましたが、嬉しさと寂しさが入り交じったような何とも妙な気持ちが支配するのは一体何なんですかね。
そして、母は今年で81歳。次回の式年遷宮は101歳で迎えることになります。私も次回は72歳。・・・・・今回は母もひときわ力が入っているような気がします。
元気で何より。 私にとってそれが一番の励みです。m("⌒∇⌒")m
ここのところ定番の「ぷらっとこだま」でののんびり移動です。結構空いていますし以外と快適なのです。(^^)v
実家に到着すると、まずは先祖の墓参り。日頃の留守をお詫びし、昔はよく墓石の文字が掘られた部分にカエルがいたなぁ〜と物思いに耽っていると、何とどこからか小さな雨蛙がピョンと現れました。ほぉーっ、絶妙のタイミングだなぁ〜とどアップの記念撮影。
今回は息子も一緒だったので、夕食後のデザートは自宅花火大会。子供の頃を思い出しながらの小一時間。小さな光の協奏に心踊らせました。中でも線香花火は他の花火にはない静けさと、か弱さ、それでいて華麗さを持ち合わせた実に神秘的な魅力を持った私の大好きな花火です。
さて、今年は20年に一度の伊勢神宮式年遷宮の年になります。長い時間を掛けて準備が進められてきた「祭り事」のおおとりとも言える行事がお白石持ち行事です。簡単に言いますと、完成された新築の正殿など神様の御住まいになる神殿の敷地内に、或る一定のサイズに厳選された白い石を敷き詰める行事です。今まさに7月26日〜9月1日までの毎週金曜日〜日曜日に執り行われています。参加する奉献団(白石を献上奉る市民を中心とした集団)は伊勢市内77の町内会並びに特別神領民の方々。残念ながら一般の方々の参加は叶いません。完成した神殿の敷地内に、白く輝く御白石を一人一人が白い布に包み、特別に入領を許可され丁寧に敷き詰めていきます。我が宮川町(宮川連)のこの日の役割は、この白石を詰め込んだ樽を大きな曳き車に載せ、古市町から出発し数百人規模から成る町内会関係者の曳き手がゆっくりと曳き進めることから始まります。曳き車が大きな摩擦音をギォーン・ギォーンと鳴らし、その間木遣り団や躍り手が木遣り節や舞を披露しながら曳き手を鼓舞します。綱は2本。長さは100メートル程もありましょうか。炎天下の下、曳き手は時に楽しく時に苦しく、時に真顔で一途に綱を曳きます。水分補給も怠りなく、皆で助け合い補い合う姿は実に美しく清々しいものです。いよいよゴール直前、おはらいまち通りの終盤に差し掛かると祭りの熱気は最高潮に達します。ゴールの宇治橋はもう目の前です。でも進まない。まだゴールしたくない。そんな思いが溢れ出ています。
私が少年木遣り団として参加したのは丁度40年前のこの時期。小学6年生の夏でした。今はこの地を離れ遠く東京から半ば客人として参加。懐かしい方々との再会も果たしましたが、嬉しさと寂しさが入り交じったような何とも妙な気持ちが支配するのは一体何なんですかね。
そして、母は今年で81歳。次回の式年遷宮は101歳で迎えることになります。私も次回は72歳。・・・・・今回は母もひときわ力が入っているような気がします。
元気で何より。 私にとってそれが一番の励みです。m("⌒∇⌒")m
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