2017年4月11日火曜日

鰻料理への執念に一縷の光明が・・・

私の故郷である三重県は鰻の養殖が盛んで、小さい頃から鰻料理に舌を肥やしていました。最初の出会いは近所にあった「川十(かわじゅう)」の鰻重。祖父が好物でよく出前を取ってくれたり、店にも出掛けたりしていました。しかし、毎回問題になるのは「骨」の話。あんな小さな鰻の骨が、幼稚園児の私のか細い喉に突き刺さります。ピンセットでも取れず、ご飯を丸呑みして剥がそうものなら一層深く刺さり込みます。泣く泣く近所の開業医に駆け込み、「また刺さったんかぁ!?」・・・と、ピンセットでひと抜き。ハイ、完了!!
これが何度も続き、結局やむなく扁桃腺の切除手術までして、鰻への欲望を優先させることに。以降、鰻の骨が刺さったことはありません。(^<^)

さて、その後も父の鰻好きに便乗して、ある名店に出会います。志摩郡磯部町(現在は志摩市磯部町)で営業していた「川八(かわはち)」です。ここは鰻料理専門の旅館兼料理店です。ここの何が凄いかって、鰻を実に様々な料理法で提供してくれるのです。覚えてる範囲では、

 蒲焼き、う巻玉子、酢の物、骨煎餅、粕漬、あらい、皮のポン酢(?)、徳利蒸し(土瓶蒸し)など。これ全て鰻の料理です。

中でも「鰻のあらい」は絶品でした。
しかし残念ながら、こちらは20年以上前ですかね。事業拡大による業績悪化で廃業となりました。本業の鰻料理は良かったんですけどね。ホテル事業が足を引っ張ったんでしょうかね。
その後私も成長に伴い、居住地を東京、北海道へと移しながらも「川八に匹敵するお店」を探し続けていますが、未だ発見できず。やはり「鰻のあらい」や「徳利蒸し」がない。

しかし、何ということでしょう!!
先日、ようやく「・・・ん!?」という店を、たまたまネットで発見したのです。
店の名前は「川広(かわひろ)」、場所は故郷である伊勢市です。なぜ「・・・ん!?」と思ったのかと言いますと、写真に微かに見覚えのある「徳利蒸し」が乗っていたのです。川八当時の独特の器と共に。
煮物のような、吸い物のような・・・。中には鰻と椎茸、そして卵がドーンと入ってます。生卵をそのまま器に落とし、蒸し(煮る?)上げたものです。

おぉ!!これぞまさしく川八だぁ~!!

さっそく先日、帰省のついでにイザご入店!!期待に胸を膨らませつつ、恐る恐るお店の女将のようなお方に直球をぶつけました。
「あのぉ、失礼ですがこちらは昔磯部に在った川八とは関係ないですよね!?」
(※どうして率直に関係ありますか?って聞けないんだろう。まるで想い人への告白みたいな恥ずかしさのよう・・・。)
すると女将風のお方から、「ええ、うちの祖父が兄弟だったんですよ。」とのまさかのドンピシャ回答!!ひょぇ~っ!!

残念ながら「鰻のあらい」は6名以上の予約制でのみご提供とのこと。それでも今回は懐かしの「徳利蒸し」を頂く事が出来ましたのでね。もう大満足です!!
次回は人数集めて、必ず「あらい」を食べるぞ!!!(^ω^)

p.s.
写真の料理は、鰻重特上2,700円+徳利蒸し500円だったかな。ご参考まで。

2017年4月5日水曜日

特急こだま号は男前だなや。<`ヘ´>

在来線の初代特急こだま号は、昭和33年に誕生しました。・・・ということは、私より3年先輩だな。
・・・で、新幹線の初代こだま号は昭和39年デビューだから、私より3年後輩か!?

ほぉ~、ちょうど間に挟まれて、何か特別なご縁を感じますなぁ~。

さて、ここは埼玉県さいたま市にある鉄道博物館。
到着したのが既に夕方近くだったため、入場券を買ってのじっくり鑑賞は諦め、エントランス内にあるジオラマ模型を覗き込んでの撮影でご満足。!(^^)!
小さい頃から本格的な鉄道模型で遊んでいた私は、そのまま成長すれば今や立派な「テッチャン」になっていたことでしょう。今や主流のNゲージ(線路の幅が9mm)ではなく、今ではHOゲージというのですかね!?・・・線路幅は20mm位はあったなぁ。
最初に買った(親に買って貰った^^)のは、いわゆる「キハ」系車両。ディーゼル機関車の種別である「キ」に、普通車両の同じく「ハ」です。オレンジ系のツートンカラ-は今では滅多にお目にかかれませんが、千葉県の養老温泉に繋がる小湊鉄道で似たような車両が運行してますね。
・・・今度乗りに行ってくるかな!!(^<^)

この日はさいたま市内の住宅地(少し専門的に言うと「第一種住居地域」)に建つ、或る空き家の活用方法を考えるため現地調査に行ってました。JR大宮駅よりそれぞれ1駅北上したJR高崎線の宮原駅とJR川越線の日進駅をちょうど三角形に結んだ位置にある物件です。駅からはバスでの移動になるんですね~。徒歩だと15~16分。敷地面積60平米ほどの木造2階建て住宅で、1階が飲食店舗、2階は住居です。築30年といったところかなぁ~。周辺には余り飲食店がなく、1年ほど前にこのお店が閉店して以降、近隣の方からの復活要請が強い・・・。

自称「シニア建築研究家」として是非とも有意義なプランを立てねば!!(^ω^)